気まぐれ日記 2014年8月
2014年7月はここ
8月1日(金)「次女の冒険の旅が始まった・・・の風さん」
午前5時に起きたが、次女の起床はもっと早く、昨夜はあまり寝ていないに違いない。若さというのは素晴らしい。
重いバッグをアクアに積み込んで、3人でセントレアへ向かった。
田舎道を走っていくので、いつになく周囲の田園風景がドイツに似ているように感じられる。
朝は出発ラッシュなのだろう、空港は混んでいた。
次女が乗る航空会社のカウンターは、その時間帯は1便しかないのに行列していた。
バッグの重量が四捨五入で規定内だったせいか追加料金をとられなかった。
両替所でレートが少し有利だったので、次女はいくらか両替した。
出発予定時刻の1時間前に手荷物検査所に入る直前まで写真を何枚も撮った。
それからワイフと朝食を摂り、見送りデッキに出た。強い日差しを反射する機体はすぐに見つかった。
まだスマホの電源が入っているらしく、機内から座席の位置を知らせてきた。こちらから見える窓の一つに次女の顔が押し付けられているようだ。
やがて機体が動き出し、私たちもデッキの先端へ移動した。
人工の島の端っこに位置した機体は、しばし踏ん張っていたようだったが、まもなく弾かれたように疾走を始めた。そして、私たちの目の前で滑走路から離れ、ぐんぐん上昇していった。
雲一つない青空の中へ期待が融け込んでしまうまで、私たちは次女の冒険の旅立ちを見送っていた。
子供たちが巣立てば当然やってくる夫婦だけの生活を半年間、これから私たちは練習することになる。
その初日の今日は、知人からもらったディズニーオンアイスのチケットを利用することになった。
キャメロンと電車を乗り継いで、会場にたどり着いたが、日中はさらに気温が上昇して暑さがこたえた。
それでも会場内では、まるでディズニーランドに行っているような気分を味わうことができた。
ただ、ほぼ満員の客席は、老人と婦人と子供がほとんどで、チケットを稼ぎ出した張本人の姿はまったくと言っていいほど見られなかった。ウィークデーの今日も、彼らは職場で汗を流しているに違いない。
帰りは、途中で早目の夕食を摂り、自宅ではゆっくり過ごすことにした。
トランジットの空港からは、次女からの一報があったが、フランクフルトに着くのは、日本時間で今夜の午前1時過ぎになるだろう。空港近くのホテルにチェックインする予定だが、安着メールが入るまで寝るわけにはいかない。
8月2日(土)「安着メールが届いた・・・の風さん」
次女から安着メールが入ったのは、日本時間で午前3時少し前だった。
空港からホテルまでちょっと迷ったらしいが、何のトラブルもなかったという。次女にとって海外は、オーストラリア、香港に次いで3回目だが、一人旅は初めてなので、夫婦としてはとりあえず安心した。ちゃっかり秋田のお酒で祝杯をあげた。
で、今朝はゆっくり起きて、iPhoneを確認すると、その後のメールも入っていて、晩御飯にしたらしいソーセージとビールの写真がのっていた。なかなかの精神力と体力だ。
懸案事項だった長女のスケジュールも、昨夜「OK」になったため、いよいよ次女を慰問に行く計画が現実的になった。長男は海外は怖いなどと言っているので、3人で行くことにしている。
昼食後すぐ旅行代理店に行き、検討中だった航空券の正式手配をした。私の希望で往復ともルフトハンザである。
帰宅したらまた疲労感が襲ってきた。当面の課題は私の体力である。
夕食まで3時間近いシエスタをとった。
久しぶりに兄貴に電話し、次女の留学の話と11月の母の三回忌の相談をした。須賀川は平穏無事らしい。
夕食後、次女を慰問するときに泊まるワイマールのホテルの相談をした。私は大学近くのプチホテルをいくつか候補にしたが、その中の一つが気に入ったらしい。リーズナブルな料金なので、ツインを2部屋確保すれば、ずっと一緒にいられる。
8月3日(日)「シエスタをとりつつ・・・の風さん」
朝食後、銀行へ行き、航空券代の振込みをした。
今日はあるイベントの申し込み開始日だったが、年内はスケジュールがたくさんあるので、諦めることにした。実は、私が観たいイベントだったが。
今月の後半は過密スケジュールになる。最大のイベントはおそらく Takebe Conference 2014 になる。
東京往復の新幹線や宿泊するホテルについて、まだ決めていなかった部分をすべて確定させた。
昼食後、リビングでシエスタをとった。猫がいつも寝ている場所だ。私も久しぶりに猫の気分になった。
目覚めたら、あらあら不思議、パワーが戻っている。
今週予定されている講演のスライド作成に着手した。
夕食までに完了した。
次女からのメールによると、今日はサマースクールのオリエンテーションに行くという。ここでまた友達ができるだろう。
ワイマールは、これから半年間も滞在する街だ。思い出をたくさん作って、世界中で最も好きな街の一つになればいいが。
夕食後、作業をやめて、読書と英語の勉強をした。これが私のいちおう目標のライフスタイルだ。
そして、シエスタがなくなって、夕食前にトレーニングに行けたらベスト。
8月4日(月)「外出して一気に用事を済ませた・・・の風さん」
どうも朝から体調がスッキリしないが、昼食後キャメロンで出かけた。
役所で用事を済ませてから、大型家電量販店と百均ショップで買い物をし、戻って、知人の会社に寄って届け物をした。幸い知人は留守だった。在席していると、ついつい話が盛り上がって、長っ尻になってしまう。それから、キャメロンに満タン給油し、DIYショップで少し買い物をした。
帰宅したのは既に夕方だったが、疲れたのでシエスタ(元気ならトレーニングに行きたかった)。
ワイフがトール教室から帰宅したのはかなり遅く、それから夕食になったが、仕事が一段落したワイフが一杯飲もうと言いだして日本酒を少し飲んだのが響いて、またリビングのフローリングでダウンした。
午前零時に私だけ目覚めて、書斎へ行き、VOAを少し聞いてから、ベッドに倒れ込み、しぶとく30分間読書してから寝た。ワイフはまだ階下で爆睡中らしい。
8月5日(火)「ワイフから最強の椅子をもらう・・・の風さん」
午前中、目の回る忙しさだった。雑用が一気に集中したのだ。そのため、何度、一階と二階を往復したか知れない。電話も4回もかけている。最大の収穫は、12月に次女を慰問した時に泊まるワイマールのホテルが確定したことだ。結局、旅行代理店では希望するホテルを確保することができなかったため、自分でネットから予約した。ツインを2部屋、2泊で330ユーロだった。プチホテルである。
とにかく、これだけできたのは、昨日より体調がいいからで、とにかく午前中は頑張った。
昼食後、さすがに疲れが出たので、1時間ほどシエスタをとった。
起き出して、ここ1ヶ月以上手を付けていなかった、重要書類の整理に取り組んだ。今日はファイリングが中心で、次回は、お金の出入りをチェックしようと思っている。
今日の午前、ワイフから定年退社のお祝いにプレゼントしてもらった書斎の椅子が届いていた。当初の椅子は半年以上前に壊れていて、長男や長女の椅子をとっかえひっかえ借りていたのだが、体力不足の私には疲れにくい椅子が必要だった。
夕食前に組み立てに取り掛かった。
実に組み立てにくい構造で(笑)、手が痛くなったが、仕上がりはカッコよかった。肌触りのよい合成皮革張りで、クッションは低反発性である。背もたれが高いので、背筋力が低下している私には都合がいい。ロッキング機能もある。寝てしまいそう。
明日は、一泊で講演の旅に出る。足はキャメロンである。
8月6日(水)「キャメロンで初の遠出・・・の風さん」
昨夜は普通に就寝し、今朝も普通に起床し、その後もマイペースで準備したので、出発は午前10時15分だった。キャメロンでの遠出は初めてである。
暴走すると爆音で私自身の肉体がダメージを受ける。そう思って制限速度から大きくはみ出ないようにのんびりと走った。そして、早くも知多半島道路出口直前のパーキングエリアに寄って、電話を1本かけた。
次は中央道を北上するとき必ず立ち寄る恵那峡サービスエリアでトイレ休憩し、既に正午はまわっていたが、空腹でもなかったので、ホットドッグを1本食べた。中央道から長野道へ入る前にも休憩し、ドーナツを1個食べた。これで、今日の昼食は特別には食べないことに決定。
今日は、下諏訪町の儀象堂を見学するのが一つの楽しみになっていた。
時計の展示では、ドイツのユンハンス社というのを知った。シアターでDVDの映像を観たが、事実に忠実な内容で感心した。水運儀象台にはそれほど期待していなかったが、実際はよくできていたし、中国語を話す団体が来ていたので、彼らに見せるには最適だと思った(中国の文化は本当に優れているが、王朝が交代すると前代のものを破壊することを繰り返しているから)。写真を撮って、LINE通信でドイツにいる次女にも見られるようにした。
明日の講演のために松本市内に前泊した。部屋の水道の水がビックリするほど冷たかった。また、日没後外出したが、気温が30℃を下回って、暑さを感じなかった。
8月7日(木)「講演と見学を終えて・・・の風さん」
軽く朝食を摂って、予定通り8時50分にホテルを出発した。
ナビの指示通りに走ったのだが、どんどん寂れた風景のしかも標高の高い方向へ導かれるので、予想外だった。最終目的地も、門を入ると、立派な建築がそびえていて、駐車場も広く既にたくさんのクルマがとまっていたので、間違ったのではないかと思った。それで、ケータイで窓口をしてくださった先生に電話すると、ここで良いという。荷物が多かったので、駐車場まで来ていただいた(それほど敷地は広かった)。
センター内には多くの利用者がいて、不思議な気がした。それほど世の中活性化している気がしなかったので。デフレ時代が長く続き過ぎたため、私自身の感覚がおかしくなっているのかもしれない。
昼食をはさんで午前と午後2時間ずつもらえたので、通常90分もらってオーバーしてしまう講演を、どちらも予定時刻の10分前に終えることができた。おかげで、持参してきた資料類をゆっくり説明し、また質疑の時間もとれた。
今回は高校の数学の先生の研修会での講演だったが、長野県和算研究会のメンバーがいて、非常にうれしかった。来年の全国大会は長野県だという。元気に頑張っていれば、また長野県に来ることができる。講演はいつものパターンだったが、ある程度楽しんでくれたようだ。
夕方、えんぱーくに寄った。えんぱーく内の中心は塩尻市立図書館で、先月偶然お会いした司書の方に館内を案内してもらうのが目的である。司書の方には、今日の講演を午前も午後も聴講してもらっている。手土産に拙著を6冊持参し寄贈した。
えんぱーくはとても明るく、内部は広々としていて、過ごしやすい。利用者の居場所もさまざまな形態で用意されている。夏休みとは言え、子供たちがたくさん来ていて、本を読んでいる。これには感動した。
約1時間ほど滞在し、図書館の運営について、色々な興味ある話を聞くことができて勉強になった。
5時半にそこも失礼し、家路についた。
帰りも途中5ヶ所も寄りながら、ゆっくり走った。なるべく疲労を残したくなかったのだ。
午後10時半に帰宅できたが、今回のようにキャメロンを利用すると荷物をたくさん持って行けるので便利である。これからもキャメロンでの遠出が増えるだろう。
8月8日(金)「ラーメン男・・・の風さん」
これから約半月、講演がない。久しぶりのような気がする。雑用含めて、たまっている仕事を挽回する絶好のチャンスである。大事に使おう。
午後からキャメロンで出かけた。JAに寄り、役所に行き、キャメロンに給油した。今回の遠出の燃費は12.4km/Lだった。エアコンをフル稼働させていたからこんなもんか。暑い時期にエアコンを使っていても、パワーがあるので、走りには満足した。気温が下がれば、もっと運動性能は向上し、燃費も良くなるに違いない。楽しみだ。
帰りにスーパーに寄って、レギュラーコーヒーなどを購入した。コーヒーは私の必須のパワーソースの一つである。
帰宅したらさすがに疲労感が戻ってきたので、2時間のシエスタをとった。
目が覚めたらもう夜。その間、ワイフもログで難儀な仕事に対応していたので、近くの中華料理屋で晩御飯にすることにした。私は五目ラーメンと焼き餃子。昨晩と今日のお昼とラーメンだった。ラーメン男だな、私は(笑)。
8月9日(土)「アナと雪の女王・・・の風さん」
台風11号が接近していて、朝から雨模様。今日は午前中、心月斎で盆施餓鬼である。
天気が悪いので、お墓の花だけ交換してから本堂へ入った。
新作の「なごやん」をいただきながら、お抹茶の接待を受け、その後、読経と焼香の場所へ。
ドイツの次女へ送るため、本堂内の写真を撮った。
ちょうど時分時で、精進料理がありがたい。
お寺の世話人で、先日、私の地元での講演を聴講してくださった方から、当地の歴史をうかがった。地名(布土)の由来にもなった一向山(いっこうやま)の磨砂(みがきすな)の話と、昭和6年にあった落盤事故のことだった。ここで骨を埋める覚悟を決めた私は、転入して来て最初の1年間にかなり勉強していたが、この話は知らなかった。今度、散歩がてら一向山に登ってみよう。
午後、久しぶりに2階の片付けに手を付けた。思い切ってシュレッダー作業をやってみた。あまりにも量が多く、何度もオーバーヒートして停止してしまった。もっとこまめにやらねばならない、ということだ。
結局、シュレッダー作業は途中までで、夕食後、DVDで「アナと雪の女王」を観た。前評判も知らない浮世離れした風さんなので、漫然と見始めたのだが、登場人物の顔の表情に惹きこまれた。
あとで知ったが、原題は「Frozen」。日本では邦題の貢献が大きいな。
8月10日(日)「強い風雨・・・の風さん」
台風11号の襲来で未明から強い雨と風になった。
運良く外出する用事はないが、体調は芳しくない。昨日に続いて、シュレッダー作業に取り組んだが、午前中いっぱいかけても終わらない。すぐに停止してしまう。私の体調と似ている。
しかし、だらだらと続けているうちに、シュレッダーすべき紙類はなくなった。
続けて、書斎の整理である。しかし、その前に、近々帰省してくる長男の部屋に仮置きしてあるものを、片付けねば。と言いつつ、何のことはない、長女の部屋へ移動させただけ(笑)。
夕方からやっと風雨がおさまったが、私の作業能率は上がらない。
それでも、英語の勉強だけは執念で続けた。
そして、午前2時近くなって就寝前に、数ヶ月ぶりに執筆マシンのデータのバックアップを開始した。
ドイツに行って1週間、今日は次女から音信なし。
8月11日(月)「21時間以上かけてデータのバックアップを終了・・・の風さん」
執筆マシンのデータのバックアップがまだかなりかかりそうだったので、今日も書斎の片付けに専念することにした。
同時並行作業は男の不得意なことだが、私の場合、非常に多くの仕事がたまっている。じゃんじゃん受け入れてしまうからこうなるのであって、決してそれが得意なわけではない。
それらの仕事を書棚に層別して並べることが最優先と考えて、そのスペース確保に取り組んだ。
かなりの時間をかけて、やっとスペースができたが、15のスペースを用意しても収納しきれなかった。
疲れ果てて、夕方からシエスタを3時間。
目覚めても、バックアップがまだ終わらないので、書斎の片付けに取り組んだ。
とりあえず書斎の片付けを一段落させたのと、バックアップが終わるのがほぼ同時だった。
既に午後11時を回っていて、執念で英語の勉強を最後にしてから就寝した。
次女から風邪をひいたという連絡があった。心配だ。
8月12日(火)「棚経・・・の風さん」
ゴミ出しの日だったので、早起きしたが、雨がかなり降っていた。2階の片付けで出たゴミ袋を2つ抱え、8時頃、傘をさして外へ出た。
その後、雨は小降りになった。
ここ数日の悪天で、キャメロンは汚れていて見苦しい。
そのキャメロンに乗って出かけた。
役所に行ってから、郵便局で振込みを2つ済ませて帰宅した。
午後、心月斎の住職さんが来て棚経を上げてくれるので、仏壇の周囲を整理して準備を整えた。
棚経のあと、若い住職さんに独占インタビューを試みた。駒澤大学の学生時代のアルバイトや新宿歌舞伎町での交友の話が面白かった。意外な情報が多く、人生の妙を感じた。
ようやく作家業に復帰した。
今日は、月末の講演の資料作りを終えるつもりだったが、意外と手こずって、結局完了しなかった。
無理せず、いつも通りの午前2時前に就寝した(遅すぎるが……)。
次女は風邪薬をたくさん持って行ったそうで、それを飲んだら回復したらしい。安心した。
8月13日(水)「霊のお迎えの準備・・・の風さん」
ポケットダイアリー(手帳)には、予定だけを書き込むのでなく、備忘録のために後から実績を書き込んだり、余白にアクションアイテムを列記したりもしている。
会社員だった3月までは、当然、会社の仕事関係の記事も多かったので、4月以降、記事の密度は目に見えて減少すると予想していた。
ところが、である。減るどころか、逆に増えて、書ききれないことも多い。これはどうかしている。
お墓にお供えする仏花の購入のため、近所の産直というか地産池消というか地元農家が複数で経営している販売所へ行った。8時に着いたのだが、次々に運び込まれる仏花は、置かれるそばからすぐに売れていく。ワイフが狙っていたほおずき入りの仏花は買えなかった。
モーニングを食べてから帰ったのだが、パンの代わりにおにぎり、スープの代わりに味噌汁だった。西瓜もついていたが、これはつまんでワイフの皿へ。もちろんコーヒーも飲んだ。
昨日に続いて講演資料に取り組んだが、あまり良い出来とは言えない。しかし、今日までならこれくらいでいいだろうと妥協して、とりあえず仕事は終えた。
夕方、お墓へ行き、ご先祖様の霊をお迎えする準備をしてきた。
夕食前に長男が帰省してきた。晩御飯が御馳走だった。
就寝前にハガキを4枚書いた。
8月14日(木)「久々の剛腕で原稿見直し・・・の風さん」
相互貸借で借りた5冊のうち3冊は、明日返却しなければならない。
1冊は重要な資料なので、さっさと必要な部分は読んで、古本も発注して既に入手済みである。
1冊は明日の午前中に必要なページだけコピーをとる。
残る1冊が、まだ未検証だったので、読み始めたら、なかなか面白い。役に立つ。それで、古本も発注するが、これは読破してしまおうと思った。
結局、2時間のシエスタをはさんで夕食までに読破し、重要な部分はpdf化し、黄色でハイライトもした。
さらにこの本を利用して、11月出版予定の本の原稿を見直した。
就寝が午前3時を過ぎてしまったが、達成感はあった。
8月15日(金)「3匹のヤスデ・・・の風さん」
昼までに昨日の続きをいちおう完了させて、出版社へメール送信した。すぐに返信が来たが、とりあえず一段落である。
昼食後、キャメロンで出かけた。
先ず、郵便物を投函するため、分局のポストを目指したのだが、途中で路傍のポストから郵便物を回収しているクルマと遭遇したので、局員に手渡しした。
続けて、図書館へ行き、相互貸借で借りた3冊を返却した。残り2冊は22日が返却日である。
帰宅してその2冊をチェックしたが、1冊は入門編で欲しい本、もう1冊は、部分的に必要であり、本自体は不要だと思った。
その後、書斎でダウン。座り心地の良い椅子にしても、体力不足では続かない。約2時間のシエスタになってしまった。
夜、シャワーを浴びようと浴室に入ったら、小さなヤスデがいた。1匹をうまく窓から放り出したと思ったら、また出てきた。それを追い出したら、また、だ。結局、3匹も放り出した。こんなにたくさん出たことはかつてなかった。
ワイフに報告すると、ヤスデではなくムカデの子供ではないかという。そんな気がしてきた。
8月16日(土)「今夜は8匹・・・の風さん」
月末締め切りの研究書の原稿がある。昨年の11月に、あるレベルまで書き上げてあったが、いよいよ方針も定まり、出版日程も明確になったので、8月末までにリファインして提出することになっている。
土壇場に短時間で仕上げられる内容ではないので、今日明日ぐらいでリファインのだいたいの方向付けをしようと思った。
久しぶりに昨年の原稿を読んでみたら、大幅にスリム化することと、内容を深める必要があることが分かった。そうなると、スリム化と内容の充実をどのようにやるかを決めなければならない。和算の関係の原稿なので、原書にあたることにした。こういうときに大いに助けになるのが、母校の図書館のデジタルデータである。漢文の原書を読んでいくと、どうやら私の思い違いがあることがはっきりしてきた。
方向付けが定まらないまま、出かける時刻になってしまった。今日は、昨年も行った地元の花火大会である。ワイフと約束していたことなので、すばやく準備してキャメロンで出発した。
地元の地の利というか、裏道や空き地の情報を持っている強みで、昨年よりも会場に近いところにキャメロンを駐車することができた。おかげで、往復の歩く距離が縮まり、楽に席を確保でき、8000発と言われる花火を間近に見ることができた。音楽や炎、レーザー光線などもからめた演出もあったが、やはり色彩や破裂音など工夫した花火は見ごたえがあった。
今夜もシャワーを浴びるとき、浴室でヤスデ(あるいはムカデの子供)を見つけては窓から放り出すことを繰り返した。結局、8匹を処置した。最近、ゴキが出現しないが、これらの虫たちが、我が家をガードしているのかもしれない。
8月17日(日)「海浜のリゾートで過ごす・・・の風さん」
実に久しぶりにワイフの実家の昼食会に参加した。
毎年この時期で、決して超多忙とはいえない(サラリーマン時代は夏期連休を含めた前後の)時期だったが、私はいつも超多忙だった。
今年はそんなはずはないと、だいぶ以前から一緒に行くことを宣言していて、しかも楽しみにしていたのだが、実際は、例年と変わらぬ超多忙に陥っていた。
それでも出かけて行ったのは、もう「覚悟」しかなかった。
場所は三河湾をのぞむリゾートにある別荘で、1日だけレンタルするのである。拙宅から1時間ほどだ。快晴で、海の眺望は素晴らしかった。
お義父さんにとって孫全員と顔を合わせるのは楽しみだろうが、今年はドイツに行っている次女は不参加で、私がその代わりか(笑)。歓談している中で、ふと気付いて発言した。お義父さんが今の私の年齢のとき、既に孫が5人全員誕生していたのだ、と。
持参した本も読まず、自宅でもよくしている昼寝もせず、ずっと食べて喋っているうちに夕方になって、帰宅する時刻となった。
昨日に続いて、日曜日の講演のレジュメに取り組んだ。また凝り性の悪い癖が出た。
今夜のヤスデは1匹だった。沈静化したか。
8月18日(月)「暑かった1日・・・の風さん」
朝、1時間かけて、講演のレジュメをほぼ完成させることができた。
それから電車で名古屋へ出かけた。
リゾート地と違って、やけに暑い。名古屋へ近付くほどそれを感じた。
午後から『工場長の教材』の制作委員会の会議があり、今後の作戦が議論された。知恵者が集まっているにもかかわらず、議論はいつまでも白熱し、なかなか収束しなかった。
それでも予定の5時には閉会となり、暑気払いの一杯会となった。平均年齢の高い制作委員会なので、暴飲暴食する人はいない。店内も閑散としていて(娑婆は今日から仕事だし)、他人に聞かれてはまずい政治的な話を肴に盛り上がった。
帰宅してから仕事をする気の私は、ビールは1杯だけにした。
予定通り早い時刻に帰宅できたので、たまっている仕事をじゃんじゃん片付けていった。
その勢いで、就寝は午前2時近くなってしまった。
今日、ちょっとうれしかったのは、先月4年ぶりに受験したTOEICの結果がネットで確認できたのだが、なんと60点も上がっていた。目標までまだ100点以上離れているが、老化している中で成績が上がった(というより下がっていなかったことの重要か)ということは、先に期待がもてる。
8月19日(火)「24日の講演スライドができない・・・の風さん」
今日は稼ぎ時と思って起床したが、朝からずっと頭が重い。寝不足かもしれない。
目的のためには手段を選ばないわたしは、すぐに頭痛薬を服用した。
1時間でも早く24日の講演スライドを作ろうと、気持ちは前向きに取り組んだが、薬が効いてくるのも遅く、いつまでも能率は上がらなかった。
それなら気楽な雑用を先に、と思って、あちこち手をつけているうちに、来週のスケジュール変更をするしかないことに気が付いた。上京を半日を遅らせるのである。
講演スライド作成の続きをやっているうちに、昨日送ったレジュメの内容ミスに気が付いた。本来の締め切りは今日だったので、間に合うだろうと、修正してまた送った。
夜遅く、来月出る雑誌の原稿の再校チェック依頼がメールで来た。校正は1回で終わりだと思っていたので、ちょっと驚いた。さらに驚いたことに、締め切りを示していない。問い合わせている余裕はなかった。どうせ短納期に決まっている。
シャワーを浴びに行ったら、またヤスデ(ムカデの子供かもしれないが)が1匹いた。実は、昨夜も1匹いたので、3日連続の1匹である。そろそろ沈静化するかもしれない。
ヤスデを逃がしてから、書斎に戻って、再校ゲラのチェックをしていたら、就寝時刻が午前3時近くなってしまった。やばい。
8月20日(水)「連日就寝時刻が遅い・・・の風さん」
午前7時起床。寝不足である。
電車で名古屋へ出かけたが、今日も暑い。しかし、電車の中は日が当たる席でもそれほど暑さを感じない。見ると、大きな窓ガラスはUVカットと書いてある。旧型車はカーテンがあったが、今の新しい車両にはない。その方が経済的だし、乗客の健康にもいいのだろう。直射日光が当たる車両で通勤(通学)して皮膚がんになったと訴える乗客を防止できる。
ついでに、車内が明るいのに気が付いた。2011年の夏は、省エネのために日中は消灯していて読書ができなかった。高価な天然ガスを大量に燃やして二酸化炭素を吐き出しながら、いつのまにか省エネを忘れているのではないか。
今日は午前と午後、JMA中部オフィスで打ち合わせだった。教育や研修に関する相談だが、だんだんここが就職先か自分のオフィスのようになってきた。
寝不足でも夢中で仕事して、比較的早い時刻に帰宅できた。
就寝前までに、昨日までにできなかった24日の講演スライドがほぼ完成した。
やれやれである。
しかし、就寝はほぼ昨日と同じ午前3時。
8月21日(木)「病院へ行って、明日の準備も・・・の風さん」
午前8時半に起床したので、昨日ほどの寝不足ではない。しかし、暑さは昨日と同じ。
9時半にキャメロンで家を出て、有料道路も利用して(3ヶ月に1度受診している)総合病院へ行った。
病院はすごい混雑だった。夏期連休中に病院に来れなかった人が一気に来ているのかもしれない。
待ち時間が1時間以上あったので、いったん病院から出て、銀行などへ行ってきた。
やっと午後1時ころすべてが終わった。時間がもったいなかったので、パンを買って運転しながら食べた。
JAに寄って、次に図書館に寄って、2時半に帰宅できた。
多くの用事を6時間で終えたわけだが、これはひと仕事だった。
1時間ほど休憩してから、明日の準備を開始した。神戸で1泊2日のセミナーの講師をするのだが、予習が必要だった。
来週の英語のプレゼンや来月の講義のテキスト作成をやりたかったのだが、とても手が回らなかった。
とにかく明日のために全力で準備が必要だった。
8月22日(金)「初体験のセミナー講師・・・の風さん」
名鉄電車の中で事務局からもらった資料を再読し、新幹線の中ではセミナー対象会社の社長のプレゼン資料をMacbookAirで開いて熟読した。先方の経営状況がかなり理解できた気がした(先はかなり明るい)。
新大阪でJRに乗り換え、神戸駅に着くころには雨が降っていた。広島で起きた土石流災害を引き起こした雨の余韻を感じて腹立たしい。
顧客と一緒にバスで民間の研修所に入った。立派な建物だった。
皆と食堂で昼食後、スケジュールに従って研修がスタートした。基調講演は先輩に続いて私がやり、早くも小説家であることをアピールした。この差別化が私のアイデンティティであり、レベルのきわめて高い受講生を相手にする場合は、これが最後のとりでとなる。
その日は夕食ではなく、受講生同士の交流を目的とした懇親会だった。
2次会に続いて、作家として1時間ほどの講演をやらせてもらった。和算はあまり知られていないテーマなので、興味をもってもらえた。ちゃっかり本も買ってもらった。
ラウンジが閉店になるまで懇親会は続き、部屋に戻った私は、もう仕事をする体力が残っていなかった。
常に全力投球でアップアップの私の悪い癖がまた出た。
8月23日(土)「神戸から東京へ・・・の風さん」
正午までグループ討議やグループ発表のサボートをやらせてもらい、無事にセミナーは終わったが、先輩やJMA事務局そして顧客である会社の研修担当3人のお蔭で、末席の私は幸い大きな迷惑をかけることなくミッションを果たすことができた(と思う)。
そして、大きな収穫として、私が長年勤務したデンソーと全く異なった事業形態の会社の経営を勉強させてもらったことである。しかも、本当に先行き明るい(と思われる)ビジョンや中期計画を持っていて、お金に余裕があれば(私の寿命も問題だが)株を購入したいと思ってしまう会社だった。
午後のスケジュールに余裕のない私だけ、昼食後すぐタクシーで研修所を出発し、電車を乗り継いで新神戸駅まで行った。
東京行きののぞみに乗車し、勉強するつもりだったが、今朝の早起き(6時20分)がたたったのか、体力がなくうつらうつらしてしまった。途中で雨雲の下に入ったが、のぞみはそれを追い越して、東京に着いたときは晴れていた。
地下鉄で竹橋近くのホテルに着いた。
お昼から始まった全国和算研究(東京)大会の、夕方の記念講演の途中で合流することができた。
いつものように記念写真を撮り、懇親会になったが、常連に加えて新メンバーも多く、少し明るい気分になった。
部屋に戻ったが、昨日に続いて、作業する体力がなく、零時前に就寝した。
8月24日(日)「初めてお茶の水女子大学で講演・・・の風さん」
立地条件の良いホテルの朝食は、天気も良くて眺望が素晴らしい会場だった。
部屋で午後の講演資料の見直しをしてから研究発表を聴講した。
予定通りに終了したので、大会委員長の真島先生と一緒にタクシーでお茶の水女子大学へ向かった。お茶の水女子大学内に入ったのは初めてで、風格のある建物と女子大学らしい清楚さを感じた。
そこでは建部賢弘生誕350周年記念展示会をやっていて、その一般公開講演会で講演するのだが、ここでも大車輪の働きをされている真島先生と行動を共にした。ランチは抜きである。
3つの講演は、真島先生の遊び心で、講演時間が40分、50分、30分となっていて、4対5対3という直角三角形の一つの辺の比と同じだった。真島先生の期待以上の来場者があり、講演後の展示会場にも多くの聴講者が移動した。
私も初めて展示室に入り、今回の目玉である「松浦静山旧蔵の享保の日本図」を見学した。建部賢弘がリーダーシップをとって完成させた「享保日本図」の精巧な写しのように思われるが、よく残っていたものだ。
建部賢弘の『弧背截約集』や中根元圭の『暦算全書』の訓訳本を初めて見ることができて感動した。
今回の3つのミッションをもった2泊3日の活動の中で、本の販売にも努力し、結局、13冊売って、3冊寄贈した。上々の成果である。
地下鉄で東京駅に行き、新幹線で家路についた。車中では意外と元気で、和算関係の勉強をしていたが、大きなひらめきは残念ながら得られなかった。
8月25日(月)「プレゼン資料の作成に着手・・・の風さん」
Takebe Conference 2014 は、今日の午後から始まる。当初、今夜上京して、明日の朝から参加するつもりだったが、とても準備が間に合わないと思ったので、明日の午後から参加することにして、半日時間を確保した。
さらに、水曜日締め切りのテキスト原稿というのがあったが、1週間ほど延期を申し入れ、これも了解を得た。
昨夜帰宅して、2泊3日の旅の荷を解いたが、今度は3泊4日の旅のために再び準備をした。当然前よりも増えた。
こうして残るは、木曜日の英語でのプレゼンの準備だけとなった。
1日でできるほど甘いものではないが、できる限りやるつもりだった。なぜなら、明日からは、プレゼン資料を作成するには不十分な環境になるからだ。この書斎にいれば、日本語はもちろん英語の資料だって、その作成に役立つ資料はたくさんあるからだ。それらを持ち出すことはできない。
全体構成を考えながら、1枚1枚のスライドを完成させるのではなく、できるだけ資料を持ち出さなくても済むように準備することが重要だった。
つまり、画像が必要なものはスキャナーで取り込む。コピーをとっておけば、参考書そのものを持って行く必要がなくなるものは、とにかくコピーをとってしまう。
いつ終わるとも知れない中、とにかくその作業を根気よく続けていった。
8月26日(火)「徹夜明けで英語の世界へ・・・の風さん」
一睡もしないまま夜が明けた。またやってしまった。完全徹夜。
木曜日のプレゼンの全体構成はできたが、発表の準備を含めれば、完成まではまだかなりの仕事量が残っている。
階下へ降りると、既にワイフが朝食の準備をしてくれていた。いつもは自分でトーストを焼いてホットミルクで食べるのだが、今日はみそ汁におにぎり。
食べ終わってからコーヒーを淹れて、いつものように仏様へ。これはたいてい私の仕事。
大量の荷物になってしまったので、最寄りの駅まで送ってもらった。
夏休みということもあって学生が少なく、名古屋まで座れたので、仮眠した。
新幹線では、ずっと寝ているわけにはいかなった。プレゼン資料を英訳するための参考資料を必死に読んだ。
会場はお茶の水女子大学で、日曜日に来ていたので、道に迷うことはなかったが、キャンパス内の会場がなかなか見つからなかった。
それで、結局、少し遅刻した。既に午後のセッションが始まっていて、英語が聞こえて来た。
会場を覗くと、予想外に西洋人がたくさんいる。和算がテーマなのに不思議だ。
だんだん緊張感で体が満ちて来た。日本語の講演ならどんなものでも平気だが、英語でやるのはどうも…。
都々逸ができた。「鳴海風殺すにゃ刃物はいらぬ。ちょっと英語で話しかけてやりゃあいい」
途中で、真島先生に図書館に案内された。ショーケースに和算に関係した書籍類が展示してあった。事前に調べてあったので、図書館にない拙著を3冊選んで持参してきた。寄贈したのである。否、もっと正確にいえば、寄贈させてもらったのだ。私には嬉しいことなのだ。
しかし、図書館側にしてみれば、これもありがたいことだったらしく、真島先生とのツーショットの写真を撮られ、あとで拙著にはサインをしてほしいと言われた。英語のプレゼンが無事に終わらないと、落ち着いてサインはできない。それが私の本音だった。
今日の Takebe Conference 2014 は、定刻の5時に終了した。
徹夜明けの影響で、体調は最悪だったが、木曜日のプレゼンで受けるショックを少しでもやわらげるため、レセプションに出席することにした。
場所は茗荷谷駅近くのイタリアンレストランで、立食式だった。
ホテルでプレゼン資料を作る覚悟の私は、アルコールを飲まないことにした。
色々な方と交流したが、今夜の目標は、長年会いたかったアンニック堀内さんと話すことだった。私がようやく処女出版『円周率を計算した男』を果たした直後、建部一族のご子孫の方から、フランス語の論文のコピーをちょうだいした。建部賢弘や関孝和のことが書かれていた。その著者がアンニックさんだった。もう10年以上も前のことになる。
学者らしい風格のある方(女性)で、ちょっと近寄りがたい印象があったが、期待通り日本語で会話できたので、まじめな話を中心にし、途中でアンニックさんが京都の印刷や出版に興味があると言ったので、小林龍彦先生を紹介し、3人での会話となった。
プレゼン資料が気になる私は、終了の10分前に会場を後にして、横浜のホテルへ向かった。
今夜のホテルを横浜にしたのは失敗だった。実に1時間以上もかかったからだ。
結局、運営側の真島秀行先生へ、「明日の午前中の参加は難しいです」とメールして、ベッドに倒れ込んだ。
8月27日(水)「講演でもベストを尽くしてしまう・・・の風さん」
今回の選択は失敗だったが、ここのホテルは気に入っている。こぎれいでリーズナブルな料金だからだ。
早起きし、出版社から届けられた本にサインをした。
朝食は食べ過ぎないようにコントロールした。
チェックアウト時刻まで部屋でプレゼン資料の作成に取り組んだ。
やっとアンニックさんの著書にある部分を、スライドに転記することができた。著書の中からこの部分を探すために、月曜の夜の徹夜では、かなり時間を使った。つまり重要なプレゼンの要素の一つなのだ。本そのものもプレゼンで見せるというパフォーマンスのため持参してきた。
しかし、どうせ午前中の出席をとりやめるのなら、横浜のホテルに連泊すればよかった、と思うのは、今夜遅くである。
東京駅まで行って、JMAと打ち合わせをした。2時間ほどの充実した内容で、達成感をおぼえた。
そこから都バスで今夜の宿へ向かったのだが、場所は豊洲で、今夜の講演会場とずいぶん離れていた。横浜のホテルに連泊していたら楽だったのだ。
宿とは書いたが、実はマンションのゲストルームで、以前にも利用した場所だ。
すぐには部屋へ入れなかったので、ラウンジで自動演奏ピアノを聞きながら、スライド作成作業の続きを1時間ほどやった。
部屋に入るとすぐ今夜の講演に必要なものだけ、と言っても実は大量に本を抱えているので、昨日よりも荷物は重くなったが、それらを抱えてマンションを出た。地下鉄の豊洲駅が遠く感じた。そして、天気は小雨模様で、うっとうしい。
作家として講演をしに行くのだが(1年前から約束していた)、目的地まで乗り換えが3回あった。2回は順調にこなし、3回目で間違えた。逆方向に乗ってしまったのだ。気が付くのが遅れ、予定時刻よりも遅い到着となった。小雨は相変わらずで、気分が盛り上がらない。
先方のリクエストで2回分の講演を1回でこなすため、かなりスライドは減らしたが、1時間45分くらいかかってしまった。
それでも本を買ってくださる方がいてうれしかった。
終わってから、想定外の懇親会に誘われた。
明日のプレゼン資料が気になってしようがないが、今日の講演で足りなかった部分を補うためには、懇親会は絶好の機会なので、ちょっとだけと断って同席した。
昨夜に続いて今夜もアルコールを飲むわけにはいかない。さらに料理まで食べてはいけない。ビールを注いで回りながら、一巡したら帰ろうと思っていたが、皆がジョッキを頼んだので、思惑がまた崩れた。
聴講してくださった方たちは技術士ばかりで、非常に質問のレベルが高く、解答できないことがいくつもあった。ついつい話し過ぎて、失礼すべき時刻を回ってしまった。毎回のことだが、自分のこの性格はそのうち何とかしなければならない。
雨の中、豊洲のマンションに戻ったのは、午前零時頃だった。
疲労困憊で、頭が回りそうもなかったので、さっさと寝ることにした。
8月28日(木)「プレゼンとジェットコースターの関係・・・の風さん」
午前6時に起床。何とか疲労はとれたようだ。
集中力を切らさないためには、スライド作成作業以外のことを適当にはさみながら、とにかく続けることだ。
自分の発表時刻は4時である。
ギリギリに到着するのは失礼だが、かと言って、午後のセッションの最初からの参加も無理そうである。
とりあえず2時に到着することにし、マンションを出発するのは1時と決めた。
こうして部屋で12時まで作業を続けたが、スライド3枚の英訳を断念した。
部屋を出て、マンション内のスペースで再びパソコンを開き(ケータイのテザリング機能を使ってネット接続し、自動翻訳も活用し)、午後1時になったので、マンションを出た。この時点でランチを摂るのは諦めている。
都バスで東京駅まで行き、丸ノ内線で茗荷谷まで行った。
国際会議の会場には着いたが、スライドはまだ完成していなかった。
控え室で、マンション内のスペースでやったことと同じ作業を再開した。
スライドが完成したのは、実に、午後3時だった(発表の1時間前!)。
あとで先生方から聞いたのだが、ホットタイムのとき、控室にいた作業中の私を見ると鬼気迫る顔つきで、とても声をかけられなかったとのこと。
直前の人のプレゼンを聴講したが、私の血圧は次第に上昇し、おそらく200くらいになっていたろう。
とうとう私の番が回って来た。
最初に述べるセリフもいつの間にか忘れて、本番が始まった。
普通だったら、最低の出来になってしまうくらい準備不足だったと思う。
ところが、プレゼンは意外とうまくいったのだ。
先ず、しゃべりの原稿を作成する余裕がなかったので、英語のプレゼンであることを利用して、文章だけのスライドを多くした。また、画像のあるスライドでも、しゃべりに使える文章を書き込んで、読めば何とかつながるようにしたのが成功した。
さらに予想外だったのは、仕込んだジョークにしっかり反応してくれたことだ。日本人を相手の講演では、笑わせたい場面でもなかなか笑ってくれない。日本人の特性で、笑っていいのか周囲の様子を探っていることが多い、遠慮がちというか空気が読めない人になりたくないのだろう。ところが、今回のように外国人が多いと、こういったコミュニケーションはけっこうとれるのである。笑ってほしい場面でしっかり笑ってくれるし、オーバーアクションなので、雰囲気も盛り上がるのだ。
こうなると英語が不完全でも通じてしまう。通じてしまうと、下手な英語でも口から出やすくなるから不思議だ。
プレゼンの終わるころには、私の血圧は、おそらく平常になっていたと思う。
上野健爾先生や森本光生先生から「面白かったよ」「立派にデビューしたね」とほめられて、私は天にも昇る気分だった。
とはいえ、それまでのエネルギーの使い方は尋常ではなかったので、もうヘトヘトだったのは事実だ。
5時に今日の国際会議が終わると、挨拶して私は家路(マンションへ向けて)についた。
ランチ抜きで頑張ったので、とりあえず東京駅でリゾットを食べながら生ビールで空腹をいやした。否、それ以上に達成感を味わっていた。
わたしはジェットコースターは嫌いである。お金を払ってまで、どうして怖い思いをするのか気が知れない、と思う。しかし、今日の自分を振り返ってみると、同じではないかと思った。国際会議なので、安くはない参加料が必要である。そして、発表にはかなりの準備と緊張がともなう。終わってから私の本が売れるわけではない。それでも、やろうと思う、そしてやってしまう、終わった今は達成感に浸っていて、また機会があればやるだろうと容易に想像できる。ジェットコースターに乗る人と、本質的な違いはないような気がした。
マンションに戻って、本当に久しぶりにリラックスした気分になり、飲んだり食べたりしながら、午前零時前に寝た。
8月29日(金)「大ピンチの後の達成感・・・の風さん」
爆睡して寝坊することが心配だったが、まだ緊張感が残っていたのだろう。普通に起床できた。
でも、必ず聴講しようと思っているレクチャーは午後なので、マイペースで出発の準備をした。
荷物が多くて、キャリーバッグをそのまま宅配にしようかと思ったが、多少無理すれば、全部持って帰れそうだった。さらに、最終日に、寄贈や販売で数冊減れば、いくらか楽になるだろうと、期待しつつマンションを後にした。
バスで東京駅八重洲南口まで行き、地下鉄丸ノ内線に乗車した。昨日は、東京駅構内を抜けたため、入場券分の支払いを要求されてしまったので、今日は、連絡通路を通った。
気持ちが落ち着いていたので、お茶の水女子大学キャンパス内に入ってすぐ、我が家のペコに似た猫がいたので写真を撮った。
控室にキャリーバッグを置いて、図書館へ向かった。初日にできなかったサインをするためだった。
すると図書館の入り口にも猫が2匹寝そべっていたので、その写真も撮った。
真島先生とのツーショットの写真もできていて、本と一緒に公開したいとのことだった。私は了解した。
サインをしながらいつもの話(右手が不自由になったエピソードなど)をし、最後に、拙著をご希望なら割安価格で販売したいと申し出た。少なくとも一人はいることが分かったので、午後の休憩の時に再訪することにした。
昼食をはさんでゆっくりレクチャーを聴講することができた。自分の発表が終わっているので、気分はよかった。そして、待望のアンニック堀内さんのレクチャーも聴講できたが、充実した研究内容の発表で、さすがだと思った。
明日も国際会議は続くが、私は今日で帰る。
会場を後にするまでに、図書館で4冊販売し、会場で4冊プレゼントしたので、荷物はさらに軽くなった。
今週、何度も足を運んだお茶の水女子大学から外へ出、地下鉄で東京駅まで行き、新幹線に乗車すると、今年最大のピンチを切り抜けたという達成感がじわじわと身内にあふれてきた。
昨夜はちゃんと睡眠をとれたので、車中では寝ることなく、MacbookAirとiPhoneをつないで、メールチェックやら日記作成やらを続けた。
帰宅し、日本酒を飲んで、お茶漬けを食べたら、猛烈に眠くなった。
8月30日(土)「次のステップへ・・・の風さん」
久しぶりに昼近くまで爆睡していた。
クイズで当選してゲットしたランチのチケット(1人分)の期限が明日までなので、ワイフを誘ってセントレア近くのレストランにランチバイキングを食べに行った。
やや曇り空だったのが、どんどん青空に変わっていき、10日ぶりに握るキャメロンのハンドル操作が楽しかった。
夏休み最後の週末なので、満席が心配されたが、無理なく席を確保できた。
バイキングだけあって、種類が多く、なるべく変わった料理を選んで食べた。
ドイツにいる次女は、いよいよサマースクールを終えて、宿も寮へ変わり、大学生活が始まる。この週末は引っ越しである。
次女も私も、この週末は次のステップへの気持ちの切り替えに使うことになる。
帰りは、旧街道を選んで走り、のびやかな気分を味わった。
しかし、帰宅後、やはりまだ疲労が残っていたのだろう、書斎で仮眠することになってしまった。
夕食後も、ワイフと今後のスケジュールの相談があって、今日は仕事にならなかった。
8月31日(日)「月末、原稿の締め切り・・・の風さん」
日本数学協会の機関誌を「数学文化」という。会長の発案で和算小説の掲載を検討している。
以前わたしが、文字の縦組みがネックでしょう、と意見を言ったところ、挑戦することになった。
パイロット的な試みでもあるので、2年前に書いた掌編小説の転載を提案した。
作品が受け入れられたので、初出元出版社に転載可否を打診中である。
あと、挿絵の提案もしてみた。これもパイロット的な試みにふさわしく、愚息に出品を打診中である。
今日は某研究書の原稿の締め切りである。昨日までゆっくり過ごしたので、今日は集中できるかと思ったが、なかなかそうはならない。
夜になって雨が降ってきた。
明日から9月だが、スケジュールはてんこもりである。
2014年9月はここ
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